プロデューサーの覚悟【映画構想ノート3】

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さ~、いよいよ撮影のロケの開始です。

遠野まで、車に機材を載せて約7時間、東北道を走ります。その間能勢監督から聞いた話がすごかった!!往復14時間のレクチャーです。

目次

映像の原点とはなにか

それは映像の原点とはなにか、ドキュメンタリー映画の現状、そしてこの映画についての構想などが、延々と語られ、私はもうそれを聞きながら欣喜雀躍しました。

映像の原点とは、映像の中にすべてがある。そして作り手は映像の中にすべてを込めるカメラワークをしなければならない。

それを言葉やインタヴューでカヴァーしない。

なので、この映画では一切ナレーションをいれない。説明も一切入れない。ほぼ映像だけで見せる。

ドキュメンタリー映画の現状は、ほとんどがヒューマンドラマであり、さらに社会派が
主流であること。

そして人間の未来より、過去の歴史や人間の犯した間違い、さらにいかにもリアルのような装丁で、人間の現実を突きつけてくる作品が多くを占めていること。

しかし、映像の原点はカメラという理性体であり、そのレンズをとおして<在る>すなわち「ザイン(かくある)」ということであり、「ゾルレン(かくあるべし)」ではない。
のにも、かかわらず、日本のドキュメンタリー映画界は、「ゾルレン(かくあるべし)」を匂わせながら、これでもか、これでもかと深刻な状況を味付けてしまうこと。

しかし、この映画では、そういうヒューマンドキュメントではなく、シュールな絵本や詩の世界として描きたいこと。

だからこそ、余計な味つけはしない。

実は、私も同じ事を考えていました。

映像の持つ力や美しさは、被写体をいったんカメラという無機的世界で、一切の先入的感情を排してしまうことに、大きな価値がある、ということです。
つまり一切をゼロ地点に戻してしまう。

そこから個々の人間の感性を通して入るそれが、その人間の理性と理念へと通奏していく。そこに、映像の真価がある。と私は考えていましたからね。

そして、私自身ドロドロしたものや、おどろおどろしいもの、は好かんです。

能勢監督の頭の中に、どのような映像プログラムがあるのか。またその視覚から何が起きてくるのか、それを一切見守り、享受しようと思いました。

監督の脳の中に起きることに任せ、一切を口出さない、というプロデューサーの覚悟です。

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