まだガラス絵館から映画撮影の許可が下りていない頃、それでも能勢さんと一緒に秋の遠野の風景を撮影して廻りました。
だいぶん絵を撮ってから、能勢さんがポツリといいました。
この村(遠野)は、みんなお爺ちゃん、お婆ちゃんばかりで、後継者はいないのかな~?若者はどこにいるんだろう…と。
それは、偶然通りがかりに90歳のおばあちゃんが稲刈りをしたのを
撮った後のことです。もしかしたらこの映画はとしよりしかいない映画になるのか…?と
私たちの映画は、ガラス絵館の許可もとれておらず、果たしてどうなるのかな~と、先が見えないままの頃です。そんな時に私の夫であり、この映画の資金の元でもある田下憲雄氏から、クレームが入りました。
実はこの映画の資金は、私の年金です。私がもらう年金を担保に、家計から持ち出して費用にしているのです。
私としては長生きして年金をもらい、それで家計からの借金を返す。もし私が死んだら、それは踏み倒す…苦笑!というもので。
その家計のオーナーは憲雄氏ですから、まあ、見るに見かねてのことでしょう。
この映画は確かにAI時代に警鐘を鳴らし、ガラス絵を通してアナログ時代の面影を残そうというものではあるが、しかし、それだけではダメ、というダメ出しです。
つまりAI時代の困難さから、アナログ時代を思い出し、昔はよかったね~という、感傷的な映画では、困る、というダメ出しです。
現代の先進国の問題で、その先頭にいる日本が直面している、・人口減少社会、そして・高齢化社会をどう乗り越えるか、というビジョンや希望を提示できなければ、単に、美しいガラス絵と遠野の風景という、ただの鑑賞する映画におわってしまう。
そこをどのように創出していくのか考慮に入れながら、映画をつくりなさい、という、厳しい指摘が出たのです
そこでとにかくそれを話し合うために、能勢監督においでいただき、一晩お酒をのみながら、三人(憲雄氏、能勢さん、私)で突き詰めていきました。
いましたよ、目がキラキラしている若者が!
映画で警鐘を鳴らすだけではダメで、映画の中に未来へのビジョンがなければ、ならない。
遠野での伝統的な日本の風景が継承されることこそが、これから来るであろうAIが支配する世界へのアンチとしてある。それをどのように映画で表出するか…?
あゝ重たいな~。果たしてそれが何か、またそれをできうるであろうか・・・と、考えあぐねていた時に、ふっと浮かんだのですよ。
この映画の遠野での協力者でもあり、さらに出演をお願いしている<佐々木悦雄>さんの姿が!
あゝそうだ、悦雄さんこそ、無肥料、無農薬でリンゴを栽培している。
それはまさに、アナログの極地のような、人間の手がくまなく入る農法で、
AI時代の対極の風景でもある…と。そして確か悦雄さんが、後継者がいるようなことを言っていたな~…と、思い出したのです。
そこでさっそく悦雄さんに相談しましたら、若き青年農家の菊池陽佑さんと裕美さんを紹介してくれました。
二人は悦雄さんと同様に<自然栽培>で米作りをしているのです。
もう、心がせいて、せいて、すぐに会いに行きました。
そこには、目がキラキラと澄んでいる青年農夫と、控えめで賢そう女子の農婦のご夫婦がいましたよ!!
続く!
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