茨木のり子さんの詩で、一番好きなのは「花の名」です。この詩の軽妙さがとても好きです。
特に書き出しが…。
「浜松はとても進歩てきですよ」
「と申しますと?」
「全裸になっちまうんです 浜松のストリップ そりゃ進歩的です」
なるほどそういう使い方もあるわけか 進歩的!
登山帽の男はひどく陽気だった
千住に住む甥っ子が女と同棲しちまって
仕方がないから結婚式をあげてやりにゆくという
男は話のついでに色々の花の名を覚えたいといい、茨木さんに「あなた知りませんか、大きな白い花がいちめんに咲いてて…」と。それに対して茨木さんは、泰山木ではないかと答える。
菜の花畑の真ん中にある火葬場での、お父さんの告別式の帰りの列車の車中。隣どうしの話です。男は戦地ラバウルからの生き残り。そして茨木さんとおない年。そこにはお互いの何とも言えない胸中があり、それでも軽妙に会話がはずみます。そして茨木さんの心の中にお父さんの思い出が蘇ってきます。いい男だったお父さんの。ふる里の海辺の町で外科医をしていたお父さんの。
鱶に足を食いちぎられたとか、農機に手を巻き込まれたとか
他人に襲いかかる死神をちからまかせにぐいぐい、取り除いていくお父さんの姿。
昼も夜もなく、精悍だったお父さんの遺骸のまえでさらに茨木さんの真骨頂であることばが続く。間に男との会話をはさみながら。
「農夫、下駄屋 おもちゃ屋 八百屋、漁師 うどん屋 河原や 小使い
好きだった名もないひとびとに囲まれて
ひとすじの野辺のおくり
棺を覆うて始めてわかる
味噌くさくはなかったから上味噌であった仏教徒
吉良町のチェホフよ
さよなら」
東京駅で男と別れてから、茨木さんはハッと思い出す。男が尋ねたあの花の名は,辛夷(こぶし)の花ではなかったかと。茨木さんは「なんという上のそら」で、答えたことを思い出して
「お前は馬鹿だ」「お前は抜けている」「お前は途方もない馬鹿」だといわれたお父さんの言葉。そして自分が間違えた、花の名の誤りを、あの登山帽の戦中派の彼が、いつ気づいくれるだろうか。と詩が終わります。
茨木さんが愛した名もない人々、それは児玉さんの絵の中の人々でもあります。
大いなる先輩茨木のり子さん、そして私は、賢治も愛した辛夷の花(マグノリアの花)を、その春に咲く可憐な白い花の木を見あげながら、見事に軽やかだった詩人の生きざまを、思い出すのです。
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