ドキュメンタリー映画を撮っておきながら、そういう私が言うのもなんですが、一般的にドキュメンタリー映画というと堅苦しく、人間の問題性や深刻なことを突き付けてくる。さらに、たいがいのドキュメンタリー映画が、まじめだが、時々憂鬱になる。

でもね、この映画で能勢監督兼カメラマンが撮った映像は,そういうことをつきつけてこない!!厳しいけど、美しく優しいんです。

ドキュメンタリー映画を見ると、ためになるけど、ぐったり疲れる。しかしどうも日本人には、そういう映画がいいのだという固定観念と、コンプレックスがある。

戦後の敗戦意識の中で文化を作らざるをえなかった日本人は、小津監督も言っているもののあわれというか、反省癖や自己批判癖から抜け出られない。それがドキュメンタリー映画界でも、遺伝子や桎梏になっている気がします。
どうしても政治批判や文明批判や人間批判の先棒を、ドキュメンタリー映画は担いでしまう。

そうじゃなく、ドキュメントの中にある、いや、ドキュメントだからこそ、表現できうる世界があのではないかと私は思う。人間の手で小細工をしないそのドキュメントの映像のなかにこそ、日本の、或いは世界の普遍的な世界がある、と私は思うのですが・・・。

そして、ドキュメントの本質として<自然>ということの中にある詩的世界の最たるものが、日々、おしげもなく美しい変化を見せてくれる自然の姿です。

その自然のなりわいに寄り添い、日々の暮らしの中に取り入れ、一緒に生きてきたのが、日本人であり、日本の文化です。
茶道であり、華道であり、武道も、そして和歌や短歌や二十四のお節句や季節の七十二候と日本四季、これはすべて日本の自然と人間との合作でもあるのですね。
素晴らしい風土と日本の山河、田園風景も、その傑作です。

今回私は念頭に茨木のり子さんの詩と児玉房子さんのガラス絵を置きながら映画を企画しました。
ところがね、ところが遠野でロケし、実際の風景と人々を撮っていく中、茨木さんの詩と児玉さんのガラス絵が、つまり虚構の世界が実存の風景と人々の映像に乗り越えられていくのを目の当たりにしました。

ここが、ドキュメンタリー映画のすごさだね~。

そして醍醐味であると、思い知らされました。

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