今回の台風も大変でした。

被害にあわれた皆さま、お見舞い申し上げます。

もう皆さまはお分かりかと思いますが、今回の台風を含めて地球の気象がどんどん異常になっています。

これは温暖化によるものでもあり、またもしかしたら別の原因もあるかもしれませんが。

温暖化も含めて、自然をコントロールしようとする人間のテクノロジー文化が、もう限界値をこえて、負荷を起こしているとも考えられます。

映画を撮ろうと思った動機・その2

18世紀以来のテクノノロジー文化のつけが今まわってきていて、様々なそのマイナス現象がだんだん人間の手に負えなくなっている。

にも関わらず、相変わらず人間は経済優先と大量生産と利便性のテクノジー信仰の虚構の中から抜け出そうとしていません。

それは人間の暮らしの衣食住の隅々までにわたって、テクノジーが血管のように入りこんでしまいました。

例えば食べ物といえば、つい40年前までは、動物蛋白をふくめた<自然の素材>を煮炊き料理して食べていました。

それがいつの間にかたくさんの添加物を添加され、化学処理され、工場で大量生産される、いわゆる工業製品となり、それが<食べもの>として氾濫してしまいました。時間をかけて煮炊きするのではなく、便利で時短がいいということが闊歩しています。

しかし、よくよく考えてみれば、農薬をはじめ、化学物の残留が残る食べ物が、体の異変を起こさないはずはないのです。

食品添加物にしても、法的記名義務がない添加物は容器に記名すらされませんから、私たちは知らないうちにそれを摂取しているのです。

さらに健康神話を利用したサプリメントが氾濫し、生命保険が繁盛し、なにかおかしいです。

逆に癌の死亡率は、昭和年代の三倍にもなっているのにです。

大地だって、あまりにも農薬や過剰肥料やられた畑や田んぼは、すでに砂漠化さえ起きてきています。

あまりにも人間が自然をいじくりすぎました。いうなれば、地球が悲鳴をあげています。

人間の行き過ぎたテクノジー文化を、どこかでやり直さないと、手遅れになると、私は考えます。

どこかで行きすぎたテクノロジーの針を、すこし元に戻す。今それに取り掛からないと、大変なことになる、と私は思いました。

反対に人間がはぐくんできた伝統技術や暮らしの技術はどんどん廃れていっています。

そして時代はどんどんAIテクノノロジーとデジタル文化へと突き進んでいく。

うかうかしている間に、あっと気が付いたらすべてが消えていたということにもなりかねない。

そんな危惧をしているときに、私は児玉房子さんのガラス絵と出会ったのです。

そこには、昭和の時代、自然と協働し、自然と共にいきる人々が描かれていました。

そして今ならまだその絵に描かれている、人間が自然と共に働いている姿を、映像に撮っておけると、考えたのです。

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