いよいよ映画製作への見通しがついた時もう一つ大事なことは、ガラス絵館の許可をいただくことでした。

児玉房子さんの書かれた本を拝見すると、児玉さんがいわゆる売り絵としてではなく、
世の中の趨勢などには関係なく純粋に絵を描かれていることがわかります。

児玉房子さんは誰のためにガラス絵を描いていたのか

児玉さんの著作「ガラス絵に魅せられて」の冒頭で、児玉さんは「私はあなた達を描いている」という題を書かれています。

児玉さんが描いたのは徹頭徹尾、市井の中に生きる無名の人々です。

それは「夕方の雑踏、魚屋の裸電球、黒ゴム長のおじさん、光る魚たち、緑や白、黄のあふれる八百屋などー中略ー、
私は私の絵の中でこれらの人々が永遠化されるようにと祈って描いた。私はあなた達を描いているのよ、と呼びかけながら描いた。しかしそういう人たちは美術館に絵を見に来ることはほとんどなかった。」

この文を読んで私は少し震えました。なぜなら、私自身が生涯の師と仰ぎ、私の光としているドストエフスキーの言葉がそこに重なるからです。

「カラマーゾフの兄弟」の中のロシア正教の長老ゾシマの言葉「「神の子である民衆を愛してください。」私はこの言葉を自分の人生の軸にして生きようと思っていたからです。

そして児玉さんの本の最後のご自身のプロフィールには「児玉房子 1941年生まれ 日本美術会会員 日本ガラス絵協会会員」とだけしか書かれていませんでした。

私が知る限り本の著者たちは、盛りだくさんに自分の経歴や受賞歴を書いています。いままで、こんなにシンプルで謙虚なプロフィールは見たことはありません。

そして私も恥ずかしながら自分の本には最低限度のことしか書きませんでした。なぜなら、私は身一つで生きてきました。だからよけいな飾りは一切いらないという矜持があったからです。だから私はそのことも含めて、児玉さんに手紙を書きました。でもその時はもう児玉さんはホスピスに入っておられ、最後の療養をされていました。私は是非お会いしたいと気持ちに駆られましたが、児玉さんの体調を考えて遠慮すべきだと考えなおしました。そしてそのまま児玉さんの訃報を聞きました。
もう涙があふれて止まりませんでした。お会いしたかったです。

まずはガラス絵館の管理をされている、佐々木和香子さんにお願いし、児玉さんのご子息の誠さんに許可のお願いをしていただきました。そして和香子さんの娘さんの静子さんがご子息の誠さんに掛け合って下さり、ついに許可をいただいのです。
その後誠さんとお会いしましたが、とても素朴で優しい青年でした。

誠さん、和香子さん、静子さん、ほんとうにありがとうございました。

そして児玉先生の冥福をお祈りしながら、これでいよいよ映画のスタートとなりました。

まずはガラス絵の撮影から。

ガラス絵館が冬の閉館になる11月12日にガラス絵の撮影を致しました。
寒い中最後まで撮影にお付き合いいただいた和香子さんに感謝いたします。

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