さて、厳しい理性体としてのカメラが撮った映像にどんな音楽をつけるか。実は音楽こそは、心、いわゆる温度とエネルギーなのですね。この映画でいえば音楽こそは、児玉さんの愛の心なのです。

しかし映画は最終の編集を終えたところで暗礁にのりあげました。なぜなら、音楽を依頼した作曲家の先生が降りられたからです。まあその原因は私にあるとも言えるのですが。

凡庸な作家は映画に小細工をしようとします。特に音楽のもつ情緒的なちからで映像をカバーしようとしたり、演出しようとしたりします。しかし、音楽こそは、自立性を持った芸術であり、それをいわば背景につかってしまうという過ちを犯すと映画はどんどん臭くなり、俗化します。

さて、映像の最終編集が終わり、次は音楽を張り付けるのですが、依頼していた音楽を聴いて私は落胆しました。そのあとのことは詳しく書きません。

児玉さんのガラス絵も、遠野風景も、登場人物たちもみんな、みんな、ひとかけらも邪気がなく、そして
遠野の空気のように澄んでいるのです。映像には、それが溢れていたはずなのですが…。

その音楽を聴きながら、私の脳裏には朗らかに冗談を言いながら田植えをするばっちゃ達の姿が浮かんでいました。あのばっちゃ達を失望させるわけにはいかない。
とりあえず、この音楽はない。しかし他に音楽のあてはなく、さらにプロジェクトの日程はタイトにせまっている。もう時間がない!

どうしたらいいのだろうか…他の作曲家の作品を次から次へと聞きましたがどれもぴったりとはこない。困り果てた私に、娘がある曲を聴かせてくれました。それは東京町田市の路上でピアノを弾いているミュージシャンの音楽で、それを聴いた瞬間に一発で、これだと、思いました。

これだ、これをエンドクレジットに使いたい!と。

実はね、実はそこから奇跡が起きたのですよ。娘から教えてもらった路上ミュージシャンの音楽を、ユーチューブでかたっぱしから聞きました。そして確信しました。これしかない、と。そしてすぐにその人Rakiraさんに会いにいきました。Rakiraさんが出演しているレストランでのクリスマスのディナーコンサートに行きました。

そこでこれまでの経緯を手短にお話し、Rakiraさんのおはなしも聞いたうえで、映画の音楽を、とりあえず、2,3曲つくってもらえないだろうかと依頼しました。
実はね、不思議なことに私はRakiraさんのユーチューブを見ている時すでに奇跡が起きるという確信をうっすらと予感していました。

富永Rakiraさん。Rakiraさんこそまごうことなき天才ですよ。もう次から次へと音楽が彼の脳髄をついて浮かんでくるらしい!!まるでモーツアルトのように。
ただ、彼の音楽はその時の彼のフィーリングで演奏されており、それ再び再現することは、できないのです。だから、彼の音楽を映画に登用するとなれば、道は二つしかありません。

Rakiraさんの音楽は電子ピアノであり、普通のピアノでの演奏にするには彼の演奏を録音し、それを楽譜に起こしてもらうことを別のだれかに発注し、その演奏を他のピアニストに依頼して、録音をする、という方法です。

もう一つは、電子ピアノをそのまま登用し、Rakiraさんに演奏をしてもらい、それを一発勝負で録音したものを映画に貼る、という方法です。

前者の場合は今後、えらく手間と時間がかかります。後者の場合は、かなりの賭と度胸が必要です。それに
Rakiraさんはアーティストですから、そのインスピレーションに私が深く介入する、ということは結果的にかれのテイストを壊しかねません。だから丸ごと彼に依頼するしかないのです。
※ 映画のシーンに合わせて微細にこちらが指示を出すということが不可能なのです。

しかしもう時間がない。だから大晦日の日にRakiraさんのスタジオに行き、かれのプロデューサーさんも加わって、映画15のシーンに合わせて大まかに曲を選びました。そしてお正月の2日には、能勢監督と一緒にRakiraさんのスタジオに行きその音楽を聴いてもらいました。

OKです。監督からOKが出ると伴に、注文もね…。それからは怒涛の如くことが進み、とうとう奇跡が起きたのです。

凄いね、
奇跡は、起きるものなのですね!!

ビバ、Rakiraさん!!

次回は音楽と映像の関係について書きます。

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